雪印乳業・破綻・上場廃止(かって日本に雪印乳業という巨大企業があった)

雪印乳業は、かっては、牛乳・乳飲料をはじめてとして、バター・チーズなどの乳食品事業や、育児品、アイスクリーム、冷凍食品、医薬品なども手掛ける、総合乳業メーカーのトップであり、グループ全体の連結売上高が1兆円を超える巨大食品グループであった。とされている。

 

しかし、後述する3度にわたった不祥事発覚後は、乳食品事業以外の各部門を分社化せざるを得ない事態に追い込まれたのである。

社章は雪の結晶の中に、北海道を象徴する「北極星」を組み合わせたもので、(雪印)としてしられている。

「営業上の本社」(:雪印メグミルクの本社)は東京都新宿区本塩町13であったが、『登記上の本店」(;雪印メグミルの登記上の本店)は札幌市東区苗穂町6-1-1。従業員1397

 

既に公表されている諸資料により、雪印の沿革を振り返ると以下の通り

①大正14年、北海道を拠点に組合組織として創業。バター、アイスクリーム、チーズ、マーガリン等の製造販売を開始。

②その後、()北海道興農公社、北海道酪農協同()等に改組を経て、過度経済力集中排除法に抵触したため、
 北海道バターと企業分割。昭和25610日雪印乳業設立に至る

昭和30年「雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件」が発生平成12年「雪印集団食中毒事件」発生。
 平成13年以降 他社の支援による事業の分割が始まる。

平成14年「雪印食品」の牛肉産地偽装問題(雪印牛肉偽装事件)によって「雪印食品の廃業・解散を決定。

⑤平成21年「日本ミルクコミュニティ」と共同で、共同持株会社「雪印メグミルク株式会社」を設立して経営統合。
 同年(21)雪印乳業は上場廃止。

平成2341日、雪印乳業は、「雪印メグミルクに」吸収合併され、86年の歴史に幕を下ろし、
 「雪印乳業」の社名が消えたのである。

 

雪印を破綻に追い込む原因となった三つの事件事故を以下に記載する。

1.雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件について

昭和30年に、東京都で学校給食に使用された脱脂粉乳による集団食中毒事件が発生した。前年、北海道八雲町の工場内で、たまたま「停電と機械故障が重なった」日があった際、原料乳の管理が徹底されず、長時間にわたり原料乳が「加温状態」にさらされたことから、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理も重なり、被害が拡大したとされている。

2.雪印集団食中毒事件について

平成12年の6月から7月にかけて「雪印乳業大阪工場」で製造された乳飲料によって、近畿地方で集団食中毒が発生した。食中毒の原因は、北海道広尾郡大樹町にある大樹工場で製造された低脂肪乳の主原料だった脱脂粉乳製造時の「停電事故」による「毒素」(エンテロトキシン)の発生にあった。

本事件は、認定者数が、最終的に14,780人という前代未聞の食中毒被害となり、第二次世界大戦後最大の集団食中毒事件となった。とされている。

被害者の届けにより、大阪保健所と厚生省の担当者が大阪工場に立入検査を行い、各所にブドウ球菌が繁殖しているのを検出した。しかし、大阪支社は発表を逡巡し、直後の記者発表では、「汚染物質の存在を否定」したのである。同日午後の記者発表でようやく汚染を認めたが、社長は会見内容を事前にまともに聞かされておらず、会見中の担当者の発表に驚き、「君、それは本当かね」と口をはさむ混乱ぶりであった。

 同年72日、大阪保健所は、大阪工場に対して、無期限の操業停止を命じた。(その後、操業再開されることはなく、平成133月末に、大阪工場は閉鎖されたのである)

 その後も、雪印乳業は場当たり的な対応に終始し、新たな事実は常に行政機関や司直によって明らかにされていった。最も有名なのは、平成1274日の会見であり、この日も石川社長は、「黄色人種には牛乳を飲んで具合の悪くなる人間が一定数いる」などの説明を繰り返し、1時間経過後に一方的に会見を打ち切った。エレベーター付近で待っていた記者団に、もみくちゃにされながら、記者会見の延長を求める記者に、「そんなこと言ったってねえ、私は寝てないんだよ!!と発言。一方の記者からは、「こっちだって寝てないですよ! 」と猛反発。石川社長はすぐに謝ったものの、こんな会話がマスメディアで広く配信されたことから、世論の指弾を浴びることとなった。石川社長は79日入院し、そのまま社長を辞任した。とのことである。

 雪印に対する世間の不信感は日を追うごとにつのり、小売店から雪印の商品が次々と撤去され、ブランドイメージも急激に悪化し、711日雪印乳業全工場の一時操業停止が発表された。その後大阪工場以外徐々に生産が再開されていったが大阪工場の食中毒の真の原因が、北海道の大樹工場の脱脂粉乳であることが明らかになり、北海道の工場が改めて、再三再四、調査対象となり、真の原因は、大樹工場の食中毒が原因であることが確認され、北海道が大樹工場に「操業停止」を命じた。

 これらにとどまらず、業務日報の改ざん、ラベルの張替え等に日常的な改ざん・偽装か行われていることが判明するなどが続き、大阪府警の捜査により、社長、専務、大樹工場長、製造課長、主任の5人が書類送検されたが、社長と専務は事件の予見不可能として不起訴処分となった。工場長と主任には、食中毒を発生させた「業務上過失傷害」に加え、虚偽の書類を提出したことで、平成15527日大阪地裁で、「執行猶予付きの禁固刑」が言い渡された。これにとどまらず事件は以下に続く。

3.雪印牛肉偽装事件について

その後、雪印グループの製品が全品撤去に至るなど、親会社の不祥事とはいえ、グループ会社全体の経営が悪化するのである。

平成14年には、ハム・ソーセージなどの肉製品の製造・販売を行っていた「子会社・雪印食品」による「雪印牛肉偽装事件(農水省の補助金制度悪用)が発覚し、雪印食品の廃業・解散が決定されたのである

この事件によって信用失墜が決定的になり、グループ全体の解体・再編を余儀なくされる結果となっただけでなく、グループ創業の地である北海道の農畜産業までもが、存亡の危機にまで追い込まれることになったのである。

平成9年の山一証券・北海道拓殖銀行・日本長期信用銀行の倒産ともあわせ、第二次世界大戦後のバブル経済まで絶対的に信奉されてきた「一流企業」ブランドに対する信頼は崩れ落ち、高度経済成長以来の価値観の転換を象徴する事件となった、とされているのである。

以上が、かって存在した雪印乳業という、北海道を代表し一流企業ともてはやされてきた企業の誕生から消滅に至る概要である。

 

4.生あるもの必ず,生を終えるが、その意味で、雪印乳業という企業が、消滅しても、何ら不思議でもなく、
 雪印乳業という会社は消滅した。しかし、雪印乳業という会社は、私にとって「重要な会社」であり、
 「生涯忘れられない会社」なのである

何故ならその理由は

雪印乳業は、北海道が創業の地であり、私も北海道で生まれ育ち、進学のため上京したが、
 大学卒後入社したいと思っていた憧れの企業であったことが第一である。

当然、第一志望として受験し、試験場は新宿区本塩の本店で、志望者は記憶は定かではないが
 凡そ200名前後と記憶しているが、その一次試験に合格、合格者1020名前後の中に残ったことである。

しかも、一次試験受験者の中に、雪印乳業の某工場長の子息がいたが、その子息が不合格で私が合格とは、
 雪印という会社はなんと公平で実力主義の前向きな会社なのだろうか、
 工場長の子息が第一次に不合格で、私が第一次にパスしたからには、二次試験(面接)など合格まちがいなし、
 と勝手に思い込み、周辺になんとなく漏らしたりその気でいたところ、なんと不合格通知がきたのである。
 赤っ恥かくは、かっこ悪いはで、甘いと言えば全く甘いのであるが、希望がかなうどころか、
 大きなショックと挫折を味わったのである。若かりし頃のこの苦い体験が、その後の私の人生において、
 大きな教訓になったということである。

5.そこで、私が歩んできた操業200年の上場・大型機械メーカーで約半世紀、CFOに相当する立場で職務に携わってきた経験から、
 雪印乳業についての感想を述べさせていただきたい。

初代社長の佐藤貢社長の出身は、北大農学部卒の技術系、事件発生時の石川哲郎社長は小樽商科大学卒の非技術系、
 次の西紘平社長は東北大農学部の技術系、その次の高野瀬忠明社長も宮崎大学農学部卒の技術系とのこと,技術系のトップが
 多いようであるが、これまでを振り返ってみた時、技術系のトップが主力で会社を運営し、基盤を築いていくには、ある種の
 限界があるように私には思われるのです。

この4名の中で、非技術系の社長は小樽商大の石川社長一人のみで貴重な存在だったように思われますが、
 数少ない文系・小樽商科大卒の経営・会計分野が専門の石川社長が力を発揮できずに、食中毒事件に遭遇し、
 退任せざるを得なかったことは、さぞかし不本意であり、無念であったことと推察します。

他方、会見で、担当者が、事故があったことを伝えた際、「君、本当かそれ」と述べ周囲を唖然とさせたようだが、
 これは、事故の実態が、企業トップの社長に伝わっていないという事実が明らかとなり、
 さらに、社長の社内における地位・存在価値が軽くみられていることが外部に明らかにされてしまったということである。

更に、記者会見の席上、会見の延長を記者から求められた際、「そんなこと言ったって、私は寝ていないんだよ!」と発言、
 記者たちを唖然とさせたことが報道され日本中に広まりさらに問題をややこしくしたように思われる。

もし、石川社長が、技術に疎くトップとしての経験も浅いとはいえ、事故の経緯、原因等を素早く把握し、
 社内合意の下、対応策をもって臨んでいたならば、局面は異なっていたかもしれないのです。
 対応の仕方によっては、破綻・会社消滅等の事態にはならなかったのではと思われますが、如何なものでしようか

社長の出身が文系・技術系問わず、「現場と経営が断絶」しており、経営能力を問われても致し方ない対応であり、
 「雪印破綻のきざし」ここにありと私には思えるのですが、有識者の皆様、如何思われますでしょうか?

私も、長年、「東京証券取引所記者クラブ」において業績発表等に臨み、記者の質問等に対応してきましたが、
 十分に社内協議の上、会見に臨んできた経験から、石川社長にはやはり経験が不足していたとしか言いようがないように思われます。

北海道の製造業トップの雪印乳業が破綻するなど社員も北海道民も思いもしなかったかもしれませんが、
 それだけに雪印乳業という会社、会社を支えてきた多くの社員は、さぞかし残念に思い、嘆き悲しんだと思われますが、
 それは当然のこととして、社長の専門の「雪印の会計」も、北大に次ぐ名門大学で、歴史と伝統ある小樽商科大学も、
 在校生、多くのOBの方々も、さぞかし嘆き悲しんだことでしょう。

最後に、もし私が、二次試験を通り、雪印の一員として生きてきて、会社消滅という事態に遭遇したとすれば、
 偶然の運命とはいえ、やはり嘆き悲しみ、生涯忘れないことでしょう。(完)